散文5.ゆっくりおとなに。
子供たちには、「ゆっくり大人になってね」と声をかけてあげたい、らしい。読んでいたエッセーも三分の二を過ぎたところで、唐突に出て来た子供の話だった。今まではオバサン小旅行や仕事の愚痴ばかりだったではないか、どうした。
とか、ちょっと格言めいたことを言いたそうな文体や展開に多少の愚痴を心の中でぼやく。
そしてふと気づく。大人になれていないと思っているが、それは世間的にアリなのだろうか、と。
分別きかない時もあるし、いまだに「なんて馬鹿なことをしたんだ!」と自らを呪いたくなる事なんてしょっちゅうある。年齢の上下を問わず、まだまだだなぁと学ばされることも多い。果ては「無知の知」なんてことまで無駄に考えだして……気づいたらなにもせずに夜中になっていることも。
そうか、歳を重ねるごとに妄想の深さが増しているのか。大事なのは深みではなく深さであるということ。決して麹を醸造して生まれる独特の味わいのようなものではなく、手が動くからといって、ひたすらにスコップやらドリルやらで掘り続けた、なんの意味もない穴のような思考の産物。掘った後で、その穴の粗末な造りや、雑多な構成要素に自分で驚く代物だ。
でも、これがやめられない。
何の話だっけ、そうだ、大人かどうかという話だった。
……すみません。まだ、大人にはなれないみたいです。もう少しゆっくりしています。